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五年目の習作派と『筆の海 第四号』について
Etudism in 5th year, and the memory of our latest magazine
二〇二一年夏 習作派編集部
「じゃあ、今回は久湊が書くってことでいい?」
画面の中の男が椅子でくるくる回り出したのを見て、石田はそう言った。
「まあ」
「内容どうしようか」
久湊は回り続けながら考える。
「最初の年って何書いたんだっけ?」
「戯曲。習作派の名前の由来みたいな」
「ああ、やったなぁそんなの」
石田はTeamsの画面からブラウザに切り替え、習作派のHPから『習作派について』のページを呼び出した。
「『サークル名決定にあたっては、そこそこ時間と労力がつぎ込まれました。』」
「あーはいはい……」
久湊はようやく回るのをやめ、同じページの文章を読み始めた。
「そうか、この頃はまだ会議も電話だったんだな」
「確かに」
「この時からお前、部屋の中ウロウロしながらしゃべってたんだな」
「久湊がそういうイメージだったってだけじゃない?書いたの久湊なんだし」
「ってことは、当時からよくウロウロしてたってことだ」
「そうかもしれない」
めいめいに読み進めるふたり。しばらくして、あるところで久湊の目がとまる。
「……こんなことやったっけ?」
「え?どれ?」
「僕りんごなんか食ってた?」
「いや、どうだったかな……こんなやりとりがあったとは思うけど」
「全く覚えてないわ」
「というか、だいぶ脚色してるし」
石田はそう言うと、立ち上がって本棚に向かった。スライド式になっているその本棚の最前面左上には、これまで刊行した『筆の海』が収められている。その一番左のブルーの背表紙を抜き出し、立ったまま読み出した。
「脚色?」
デスクのPCから久湊の声が届く。
「覚えてないの?」
「うん」
石田は本から目を離し、PCを見やった。
「その文章、7割くらい創作だよ。ていうか、久湊の創作だけど」
「え、そうだっけ」
「うん。確かにそんな話をしたとは思うけど、電話だったか、いつだったか、その辺は覚えてない。だから、多分りんごも食べてないんじゃない」
「なんだそれ、なんでそんなしょうもないことしたんだ」
「知らない」
「無責任な」
「書いたの久湊だけどね」
「お前が止めなかったからだろ」
石田は小さく笑って本に目を戻したが、その姿は久湊には見えていなかった。
久湊はその後しばらくぶつぶつと言っていたが、しばらくして石田がデスクに戻る頃には静かになっていた。画面を見ると、久湊が画面から消えている。
石田は手に持った本を目線に掲げた。白いシーツの海に漂う一枚の原稿用紙。下部には大きく雑誌名と見出しが印字されている——筆の海 第一号「匿名性と暴力」。
「……そういえば、四号のテーマってどうやって決めたんだっけ」
ふと浮かんだ疑問を、石田は独り言のように呟いた。
「テーマ?なんの?」
画面外の久湊が、ごそごそと何かしながら返す。
「第四号の。『窮屈と代理人』」
石田は顔をあげ、天井を見ながら言った。
「『窮屈と代理人』?」
「そう、なんでこのテーマにしたんだっけ」
石田は記憶を辿ったが、どうも思い出せなかった。記憶の糸がするりと抜け出てしまっているようだった。
「窮屈と、代理人」
久湊のくぐもった声が聞こえ、石田は机上のペンを手に取り、弄びながら続けた。
「いつもみたいにお互いひとつずつ出したことは覚えてるんだけど、なんでこのテーマだったのかなって」
「ちょっと待って」
久湊の声音が変わったのに気がつき、石田は手を止めた。
「ん?なに?」
画面に視線を戻すと、久湊が戻ってきている。その面持ちは妙に硬っていた。
「どうしたの?」
石田の質問には答えず、久湊の言葉が別の言葉を滑り込ませる。
「そんなテーマだったっけ?」
「うん、そんなテーマだったんですよ」
石田がちらりと画面を見ると、久湊は目を伏せて何か考えているような顔をしていた。石田はそれを尻目に席を立ち、キッチンへと向かう。しばらくしてカップスープを手に戻って来ると、久湊が先ほどと同じ表情のまま動いていないことに気がつく。
「あれ、画面固まった?」
「そんなテーマだったっけ?」
数分前と同じセリフを繰り返す久湊。
「というと?」
「いや、第四号のテーマ」
そのいく度目かの奇妙な質問に、石田の表情にようやく変化が訪れる。
PCのファンが音を立て始めた。
「いや、うん」
不自然な会話の切れ目の後、石田がそれを取り繕うように言葉を紡ぐ。
「だって、そのテーマで書いたよね、今回」
石田の目の前のPCからは、ホワイトノイズが流れ出るだけだった。
「ていうかさ」
沈黙を縫いとめるように、久湊が囁く。
「何書いたんだっけ、今回」
石田は何か言わなければならないと感じ口を開いたが、何を言うべきか分からずにそのまま閉じた。久湊が何を言っているのかを理解するのに、しばらく時間を要した。その理解までの時間を埋めるため、彼はスープの容器を机に置き、無意味にスプーンの位置を調整したりする必要があった。
「あの」
考えても相手の言葉の意味や意図が読み取れないと判断し、数秒の後に石田は言葉を捻り出した。
「あれでしょ、怒れない人」
窓の外で、排水管が水音を立て始めていた。雨が降ってきたらしい。
久湊はおもむろに机に乗り出し、PCを操作し始めた。
「何してるの?」
石田が聞く。
「ファイル」
「え?」
「第四号の原稿、探してる」
しばらくの間打鍵の音が続いた。忙しなく響くその音に乗せられるように、石田の心音も徐々に加速していく。
数分経ち、久湊が口を開いた。
「ない」
「どういうこと?」
「ファイルがない。原稿がなくなってる」
「そんなわけ」
ないじゃん。続く言葉は霧散した。
「そもそも、書いた記憶がない」
久湊が続ける。
「怒れない人の話は知ってる。自分で考えたこともわかってる。けど、書いたかどうか分からない。変な感覚だけど、確証がない、っていう感じ」
「いや、書いたじゃん」
石田が即座に返す。
「僕も久湊も、寄稿の筒井さんも、みんな書いたよ。編集会議も何度もしたよ。今回は難産だったって、久湊も言ってたじゃん。最後は入稿日の朝までかかって校正とレイアウトいじって、ほら、」
久湊の表情は変わらなかった。
息の詰まるような時間が過ぎていった。石田は記憶を辿る。自分が持つこんなにも明瞭な記憶を、なぜ目の前の男は覚えていないと言うのだろうか?石田はもはや恐怖すら感じ始めていた。常識やロジックを超越した感覚、肉の記憶とも呼べる部分を揺さぶられているような気がしてくる。そのうち、石田の脳内にある情景が浮かんでくる。海。ホテルの一室。夜景。そして女性の姿。
「六本木」
石田の声に反応し、久湊が視線を合わせる。
「ロケで行った、東京。覚えてる?」
半ば祈るような心境で、石田は久湊の顔を見た。どんな小さな表情の変化も見逃すまいと、息を潜めるようにして見守った。
「それも、うん、知ってる」
「覚えてる?」
「なんだろう、他人事っていうか、テレビで見たような感覚なんだよ」
相手の言葉を否定する代わりに、今度は石田がPCからファイルを探し始めた。ロケの画像ファイル。撮影した4,000枚近い写真が、そこには収められているはずだった。
しかし、ファイルは見つからない。間違いなく格納したはずの『筆の海Vol.4』のフォルダごと、忽然と姿を消している。石田はほとんど躍起になって探した。全てのドライブを隈なく探し、日本語英語どちらの表記でも検索をかけた。しかし、それは本当に、なくなっていた。
石田はキーボードから手を離し、ゆっくりと椅子に背をもたれた。
自分たちは、第四号を作っていないのかもしれない。
そんな受け入れ難い考えが、眼前に突きつけられている。
段々と、感覚が冒されていくのを感じた。自分ではなく、荒唐無稽な相手の方が正しいのかもしれないという状況。何が正しいのか、誰が間違っているのか。正しさとは何か。過去が記憶でしか担保されないのであれば、記憶は何で担保されうるのか。その全てが石田の頭の中で渦を巻き、とめどないうねりとなっていた。
何度目かの沈黙は、久湊の言葉によって破られる。
「本は?」
「え?」
「本。本そのものは?」
石田の脳裏に、ブラウンを基調とした表紙のイメージがよぎる。
「覚えてるの?」
「分からない。でも、女が原稿用紙を破ってる写真が、なんていうか、こびりついてて、」
久湊が言い終わるのを待たず、石田は弾かれるように立ち上がった。そのまま本棚に向かう。
「え、どうした?」
背後で久湊の声が響く。
「探して」
「え?」
「第四号、探して」
投げ捨てるようにそう言うと、石田は再び本棚の左上に手を伸ばした。
先ほど手に取っていた1号。その横に赤い2号の背表紙。右隣に白い3号。そして。
脇のスペースは、不自然に空けられていた。
すぐに別の棚を見る。文庫本が押し込められた棚、コミックが整列した棚を引っ掻き回す。スライドの奥の棚にも手を突っ込み、茶色の背表紙を探した。
どれくらいそうしていただろうか。探す場所がなくなった頃、PCから小さな声が漏れてきた。
「やっぱり、ないよ」
その言葉に、石田は本棚に両の手を掛け、頭を垂れた。
「書いてないんだよ」
久湊の声は、同情の色を含んでいるように聞こえた。
「作ってないんだよ、第四号」
石田は眼鏡を外し、額に手を当てた。先ほど感じていた恐怖に似た感情は消え去り、悔しさのような感情が襲ってきていた。こんな理不尽が許されるのだろうか。中世の人々が恐れた魔法や錬金術のように、不合理が支配するこの状況に、石田は憤りすら感じていた。
「書こう」
PCに向かって、石田は言い放つ。
「え?」
「もう一回、作ろう」
「もう一回?」
「僕たちはもう作ったんだよ。第四号を。どういうわけか無かったことにされてしまったみたいだけど、僕は覚えてる。確かに書いた。一度作ったものなんだから、また作ればいい。11月の文フリに間に合わせればいいだけだ」
デスクに戻ってきた石田の表情は、心なしか晴れていた。
「そうだね」
「じゃあ、9月中に僕たちの原稿は完成させるとして、問題は寄稿と、ロケか」
「スケジュール確認取ってみるよ。ていうか、改めてアポってことになるのかな」
「僕らみたいに書いた記憶がなければ、再依頼ってことになるね」
「ちょっとスケジュール的に厳しいかもだけど、頼むだけ頼んでみよう」
「僕はデザインもう一回作り直すよ。覚えてるからそんなに時間はかからないと思う」
「よし、じゃあ、やるか!」
久湊が大袈裟に両手をあげ、それを見て石田が少し微笑んだ。
その時、久湊の足に何かが当たる。
「あ、あった」
「え?」
「第四号。机の下に落ちてた」
「あ?」
——とまあ、そんな感じで『習作派』は五年目を迎え、「筆の海」の在庫は溢れかえっています。
習作派。
書き続けること、それが僕たちの原点です。
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